本当の自由人となるために


皆さんが本当の自由を望むなら、今すぐそうなることもできます。
いかなる拘束にあってもそれに拘わらないこと、
いかなる業の輪廻にも巻き込まれないこと、それが本当の自由です。

自由とは自分のしたいようにすることではありません。
自分を拘束するものがどこにもなくて思うままに行動できる
ことではありません。

いかなる拘束にあっても、
いかなる環境、いかなる雰囲気の中に置かれても、
それに拘わらないこと、それから被害を被らないこと、
それから自由なこと、それが本当の自由です。


しかし皆さんが本当の自由人になろうとするなら、
どうあっても皆さんの業の世界から抜け出さなくてはなりません。
皆さんが変化する世界の中にありながら
変わりない自由を享受するためには、
皆さんがその世界を抜け出さなくてはなりません。

一旦そこから抜け出した後は、
いくらでも皆さんが身を置いている世界の中で、
風吹き波打つこの世界で、
自由に皆さんの人生を享受することができるでしょう。

あたかも波に乗るサーファーのように・・・・・・。


「悟りの瞬間」素空慈著 塩田今日子訳 地湧社





タグ:悟り 超験
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輪廻を超えた永遠の生命


皆さんが何かについてああだこうだと言うとき、
その「何々」について言っているのだと思うかもしれませんが、
それはただ単に自分の信じている自分の世界を擁護しようと
しているにすぎません。

それこそが人間が不幸な理由です。
そこから争いが起こり、戦いが始まるのです。

皆さんは、それぞれ自分の眼識をもって世の中を生きています。
その眼識というやつは人によって違いはありますが、
たいして広いとは言えません。
皆さんは、皆さんの眼識をもって皆さんの幸福と喜びを
選択しています。皆さん方は当然、選択的な幸福しか
味わうことができません。
自分の知っている世界の中で自ら選択しているからです。

皆さんはレストランに行けば、大部分自分が一度食べたことの
ある物をまた食べることになります。また飲み屋であれ
喫茶店であれ、一度入ったことのある店には気軽に入りやすい
ものです。

同様に皆さんは店に入って商品を選ぶときにも、
自分が今まで使ってきた物を選ぶか、自分がやってきた
やり方で商品を選んでいます。

それがまさにカルマ、業というものです。
今皆さんの生きている人生は、皆さんの人生ではなく、
皆さんの業が作り出した業の人生なのです。

業が、作り出した業を通してまた業を作り出す
―それが何度も繰り返す―これが輪廻です。皆さんの持っている
自分の業が業を作り出し続ける世界、それを俗世と言います。

その輪廻の世界を抜け出せば、それが永遠の世界です。
万物は流転しているが、その流転の世界を抜け出したところ、
それが常の世界、永遠の世界です。

流転している変化無双の世界にこだわらないこと、
自分がその中にありながらもそれに巻き込まれないこと、
それこそが永遠の生命です。

その永遠の生命は人が言葉で説明するような推論的な存在
なのではなく、実際に皆さんの中に存在しているのです。
歴史上の多くの聖者たちが語り、『伝灯録』の数百人の禅師たちが
立証してきた世界が、まさにそのような永遠の生命なのです。


「悟りの瞬間」素空慈著 塩田今日子訳 地湧社




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究極の幸福


人はなぜ、自ら幸福になることができないのでしょうか。
なぜ人は、何不自由ない豊かさの中にあっても、
自ら幸福を享受することができないのでしょうか。

数多くの哲学者たちがこれについて明らかにしようとしたし、
数多くの科学者たちも科学的な方法で彼らなりに努力を
傾けてきたけれども、誰ひとりとして明確な解答は
得られませんでした。

時にはフロイトのような人が現れて、人間の精神的な領域から
この問題に取り組みましたが、彼もやはり明らかにはできませんでした。
また多くの聖者たちも自ら得た光をもって人々を救おうとしましたが、
それでも多くの人々を完璧に彼らのような状態にまで導いてやる
ことはできなかったのです。

勿論、皆さん方の中には宗教を信じていらっしゃる方も多いでしょうし、
宗教を通して何らかの心の平安を得られた方もあるだろうと思います。
しかし既存の宗教がもたらす平安さというものも、大部分は不安になった
ときに作用する睡眠薬のような役割はするかもしれないが、本当の意味
での永遠なる平安は与えられずに終わっています。

今や人々の考える文明の中では、人々が作り上げた文明の中では、
そのような幸福を得ることはできないのだという考え方が徐々に
広まりつつあります。人間の限界のように見えるその人間的な
枠から抜け出さない限り、決して究極の平和、究極の幸福は
得られないものだからです。

これからの人類の文明に求められる方向は、まさしくこの究極の幸福
であります。これからは運命的に人類全体がその方向を追求し始めること
になるでしょう。それは、人間が人間の限界を自ら超克していかなければ
ならない当然の帰結としての方向であるからです。


「悟りの瞬間」素空慈著 塩田今日子訳 地湧社





タグ:悟り 超験 幸福
posted by GOLDEN KID at 11:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

無心の中の有心


《慧蔵と西堂》
馬祖の下で学んでいた慧蔵が悟りを開いて慧蔵禅師となった。
ある日、慧蔵が西堂という人に聞いた。
「お前は虚空を掴むことができるか」
西堂が答えた。「できます」
「どうやって掴むのか」
西堂が手で虚空を探って掴む仕草をした。
「そんなことでどうして虚空を掴むことができようか」
西堂が聞いた。「ならば禅師様はどうやってお掴みになりますか」
慧蔵禅師が、「こっちへ来い。わしが今から虚空を掴む方法を教えてやる」
そう言いながら西堂の鼻をつまんでひねった。
西堂が痛さのあまり大声で叫んだ。
「あ、痛た、痛くて死にそうだ。鼻が抜けてしまう」
すると慧蔵が言った。「必ず虚空はそのように掴まねばならぬ」



慧蔵が西堂に聞きました。お前は虚空を掴むことができるか。
お前は自分のエゴの外の世界を感じることができるか。
西堂は自分の手で虚空を探りました。
彼は自分の手、すなわち有心の世界で虚空
すなわち無心の世界を掴もうとしました。

・・・中略・・・

西堂は有心の世界の中のどこかに無心があると考えたからです。
皆さんのその心、その心情、そのエゴの心でもっていくら
探してみたところで、無心の世界は掴めるはずがありません。

慧蔵禅師は西堂の鼻をつまんでひねりました。
つまりお前の心の世界、お前が掴もうとしているその手探りの世界、
それを観察し、注視し、引っこ抜いてしまえ。

あたかも鼻が抜けるが如く、それはすぱっと抜けてしまうだろう。
痛みを通って鼻から抜け出せ。鼻の存在の中に留まってはならぬ。

皆さんは、心という自分自身の世界から脱出しなければなりません。
無心の中に浸っている有心をつまみ出したとき、無心は自然に
皆さんの前に現れるのです。

それは、それほど難しいことではありません。
それは自分の鼻をぎゅっとつまむこと、牛が雑草畑に入って行ったら
すぐに手綱を引っぱって来ることと同じなのです。

道明禅師は言いました。
「速い馬なら一度のむちで理解し、利口な人なら一言で悟る」と。


「悟りの瞬間」素空慈著 塩田今日子訳 地湧社






タグ:悟り 超験
posted by GOLDEN KID at 11:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

平常心すなわち道なり


こういう言葉があります。

「無心即ち道なり」

そうです。無心はすなわち悟りであり、悟りはすなわち無心です。
しかし錯覚してはなりません。皆さん方が作り出したイメージ
としての無心は無心ではありません。
煩悩の反対が無心なのではありません。

皆さんは考えます。

「私は煩悩の中で生きてきた。この煩悩を断ち切ってしまおう。
今からは静かに座って何もしないでいよう。
今から悩むのはやめよう」と。

それは無心ではありません。
そうやって悟れるものなら誰だってできることです。
悟りはそんなに易しいことではありません。

また、こんな言葉もあります。

「平常心即ち道なり」

そうです。平常心はすなわち道です。
しかし錯覚してはなりません。

皆さんは考えます。

「そうだ。こうやって飯を食ったり眠ったりしていること、
あるがままがすなわち道である。そうなんだ。道は自分の内にある
と言ったっけ。これこそが道なんだな」

「心すなわち仏だと言うから、この思い、自分の心、それが
すなわち道なのだ」と。

それは道ではなく、煩悩であります。
皆さんがいつも思っている自分の心、「ああ、この思い、
この心情を誰が分かってくれようか・・・」
それは道ではありません。

その心情を分かってくれる人など誰もいません。
また、そのような心情を持たない人もいません。
皆さんの言う運命、辛く悲しい定め、そのような運命を
持たない人もいません。

誰だって自分の運命は辛く、悲しく、醜いものです。
誰だって自分自身の我執の世界、エゴの世界は醜いのです。

その醜い運命を抜け出すには、醜い運命だと言う自分自身の
世界から脱出しなければなりません。
皆さんの「我が心情を誰が分かってくれようか」から抜け出す
ためには、そのように言う皆さんの心情から抜け出さなければなりません。

皆さんの心情から抜け出たら、それが無心です。
その無心の世界はいつも変わらず一定に、どこにでも行き渡って
いるものであるがゆえに、それを平常心と言うのです。

今皆さんの持っている自分の心、それは平常心ではありません。
しかし重要なことは、今皆さんの持っている「自分の心」が
私の言う「平常心」の中に浸っているということです。

その浸りから抜け出すことが、すなわち悟りであります。


「悟りの瞬間」素空慈著 塩田今日子訳 地湧社






タグ:悟り 超験 運命
posted by GOLDEN KID at 14:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

悟りに向かう方法


皆さんはいつもよく心得ていなくてはなりません。
もう皆さんは悟りに向かう、悟ることのできる方法までも
知っているのです。

もう自分がそのようにしさえすればいいのです。
先を行く先輩たちもこうしているのです。
ほんの一瞬に、手綱を引いて故郷に帰る日に、
皆さんの長い彷徨は終わりを告げるのです。

彼らは欲望の誘惑が自分を悩ますときには自分を失わずに
自らにむち打って、痛む心を慰めました。
ふつふつと起こる欲望を眠らせてなだめました。
愛でもってなだめました。

それは一方では非常に美しいことでもあります。
あなたが手綱を引いた瞬間、あなたはある種の強いエクスタシーを
経験することでしょう。あなたはあなたが砕け散るかのような、
あるいは胸が張り裂けるほど押し寄せてくる衝撃を
経験することでしょう。

そしてあなたの過去が、憑き物が落ちるかのように
落ちて行くのです。あなたはエネルギーそれ自体に還るのです。


「悟りの瞬間」素空慈著 塩田今日子訳 地湧社






タグ:悟り 超験
posted by GOLDEN KID at 17:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

たった一度の勇気


皆さん方は私から多くの話を聞き、その間に皆さんの
無意識の中に、私のラティハンが浸みこんでいきました。
今や皆さんは、自ら自分の世界を見ることのできる眼識を
持つに至りました。

皆さんは、自分で自分が不和を起こしているのか、
欲望の世界に落ち込んでいるのか、自分のエゴのための行為に
引きずられていくのかどうかが分かるようになりました。
皆さんが欲望の世界に落ち込んでいるとき、
皆さんの無意識は自動的にチェックをするようになります。

「あ、今僕は欲望の中に陥りつつあるな!」

皆さんの無意識はいつの間にかラティハンを一杯吸い込んで
いるからです。特に顕者たちは自分の状態まで自ら見ることの
できる力が育っています。
それにもかかわらず、皆さんは自らのエゴに打ち勝つ力を
持てないでいます。

皆さんは心の中で言います。
「この欲望の世界をもう一度だけ味わおう。今回だけは
見ないふりをしてやってしまおう」と。

そう言いながら皆さんは今回も、また次の回も、悟ることの
できる数多くの機会を自ら逃してしまったのです。
そうしているうちに皆さんと悟りの間は一歩ずつ次第に遠くなり、
その度ごとに自らの力は失われて行くのです。

この前に座っている五名の聖座たちは、まさにそのような瞬間に、
「これではない、これではない」と歯をくいしばって欲望の
世界を飛び越えた人たちです。今やこの人たちは悟りを得て
仏陀になりました。

皆さん方と全く同じ師匠の下で全く同じ教えを受けながら、
彼らは自ら自分に打ち勝って仏陀となりました。
皆さんにも全く同じチャンスが与えられています。
全く同じ力を持っているのです。

自分の世界をこの場において犠牲にしたとき、
皆さんのたった一度の大きな勇気を奮い起こしてエゴを
飛び越えたとき、あなたはいつの間にか仏陀の世界に来ているのです。


「悟りの瞬間」素空慈著 塩田今日子訳 地湧社




タグ:悟り 超験 仏陀
posted by GOLDEN KID at 15:28 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

真の眼識


世の中には、知ることも知らないこともありません。
ただ、世の中を経験するだけです。
しかし、人々は知ろうとします。過去も知ろうとし、
未来も知ろうとします。

人々は、彼らが通り過ぎてきた影をつかまえようとします。
皆さんは、皆さんの経験の中身をつかまえて流れて行こうとします。
その中身は余韻を響かせ続けます。

皆さんのそのような流れの中でつかもうとする努力と、
流れようとする力が互いにぶつかり合って摩擦を起こし続けています。
その摩擦は余韻を残し続けます。
それが、皆さんの人生が苦痛に満ちている理由です。

もし皆さんが、自分自身の持っているその摩擦と余韻と
その流れの中から首をもたげてその世界から抜け出すならば、
すなわち皆さんの知識の世界の中から抜け出すならば、
あなたはこの世のすべての事をもっと単純に、
そして正確に見ることができる真の眼識を身につけることができます。

これをイエスは次のように表現しました。

「うわべを飾る者よ、まずお前の目から梁を取りのけよ。
そうしなければ、はっきり見て兄弟の目からごみを取ってやる
ことはできない」

このように見ることができる眼識の世界こそが形而上学であります。
もしあなたが悟りを得たならば、あなたは大変単純に万物を見る
ことができるでしょう。

そして他の人たちが埋没している世界をはっきり見ることが
できるでしょう。そうして皆さんは、まず時間から自由になる
ことができます。


「悟りの瞬間」素空慈著 塩田今日子訳 地湧社




posted by GOLDEN KID at 14:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記