超験とは(2)


仏教禅宗である為仰宗の香厳禅師は次のように言った。

私に生まれつきの気質があり
一度にそれを知ることができた。
これを分からない者がいれば
僧と呼んではならぬな


ここで、一度にそれを知ったという「それ」は、
心の本体、即ち性品である。
生まれつきの気質とは、即ち生まれつきの直感を意味する。

このように祖師禅を通じて本体を知ることのできない人は、
僧生活をたたんでしまわねばならないという話である。

そこで為仰宗では、正しい修行を次の三つで説明した。

一つ目は、【機】
これは神聖な炎、あるいは神秘的な直感で
知ることのできる能力を指す。

二つ目は、【体】
これは機によって知った真の私、
即ち、固有の存在として本性、性品、またアートマンを言う。

三つ目は、【用】
これは悟った(見性)後、即ち、
本性を知った後に真の私(アートマン)から出てくる
行動と言葉を指す。


これまでの仏教や全ての宗教が追求してきた世界は、
まさに「真の私」を発見する道であった。

仏教では、この真の私の世界を「阿弥陀仏」と呼び、
起こる作用の現象世界よりも、それ以前の本質世界を
知ることによって、作用の世界で起こる全ての疑惑や
苦痛を解決せよと話した。

従って、この本性の世界を「中道」とも言った。
全ての作用は本性によって起こり、本性は現象世界の
根源であるため、どんな現象世界にも偏らないためには
本性に還らなければならない。

そこで、本性は全ての作用の中道であり、
心をこの中道に置くことを「三昧」と言った。


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posted by Only Sir at 12:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 超験とは
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