超験とは(3)


考えは作用の世界であるので、我々は考え以前の本性を
考えでは知ることができない。

従って、考えの集中よりも、心を考え以前に
置くことによって、どんな考えも妨害することの
できない心の状態となる。

これが、即ち三昧である。

つまり、真の三昧境とは、
心をわざわざ空けて集中するのではなく、
心の作用に従って、本性に留まることを言う。

だが、この心の本性を直感によって直接知ることができず、
知識によって「空いている心」と誤って知り、
起こる心の作用を止めて、空っぽなところに留まろうとすれば、
それは即ち無知の中に溺れることであると、
六祖慧能は、戒め悟らせるために懇々と話した。


我々素空慈超験センターはもちろん、
根本的に「機」によって「体」を体得することを
基本としているが、結果的に「体」に留まることを
決してその目的とはしていない。

正しく為仰宗式に説明するとすれば、
「用」を使って無限なる創造力と生命力で
宇宙創造の業績を成すことをその目的とする。

従って、一生涯、経験によって業報を続ける生でなく、
「本質(体)」を通じて、全ての業報の障害から抜け出し、
「用」を通じて経験した「智」を展開して、
創造と達成を導く生を作っていくことをその目的とする。

そして、このように生きる生を、我々は「超験」と呼び、
超験は、経験の世界を乗り越えて、その「本体(体)」を
知り、本体の「生命力(用)」を通じて、経験の世界を
展開して、宇宙万物の創造を成すことにある。


太初に本性(体)があり、その本性から
全ての万物が創造されるために、我々はその本性を
知ることができる。

ただ、その本性は、理論的に頭脳で知るものではなく、
その実体を直接感じてこそ、真に知ることができるのである。


−素 空 慈−




posted by Only Sir at 14:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | 超験とは
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