禅の不思議な世界


《惟寛禅師》
惟寛という禅師がいた。ある学僧が尋ねた。
「禅師様、犬にも仏性はありますか」「ある」
「ならば禅師様にも仏性はありますか」「わしにはない」
「もろもろ(諸庶)の衆生に仏性があるというのに、
禅師様だけはどうしてないとおっしゃるのですか」
「わしは諸庶の衆生ではないからである」
学僧がまた聞いた。
「ならば衆生でないなら仏ですか」「わしは仏でもない」
「ならば一体どんな物ですか」「物でもない」
「見たり考えたりすることはできますか」
「考えることも議論することもできぬ」


禅師の言葉は頭も尾尻もありません。
彼には言葉の始まりも終わりもありません。
悟った者と話をするとき皆さんは、皆さんの思考と観念は
大変じれったく感じることでしょう。
惟寛禅師のように悟った人と話をすれば、
このようなつかみ所がなくなってしまうからです。

「犬にも仏性がありますか」

仏性というのは、現在自分の持っているエゴ、
自分の持っている自分の世界から抜け出すことのできる権能のことです。
キリスト教で言う原罪というのも同じ意味を内包しています。
現在自分の持っている自分の世界は必ず抜け出さねばならない
ものであるがゆえに、それを原罪と表現したのです。

原罪を正しく理解した人なら、すぐにこの言葉の意味が分かることでしょう。
皆さんが固執している世界はまさしく皆さん自身が作り出したものであるから、
そのように作り出される以前の世界に還らねばならないという
根本的な理が原罪なのです。


「悟りの瞬間」素空慈著 塩田今日子訳 地湧社







posted by GOLDEN KID at 16:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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