悟りは全体への道


「犬にも仏性がありますか」「ある」
「ならば禅師様にも仏性がありますか」「わしにはない」

学僧がなぜこんな質問をしたのかをまず知る必要があります。
彼が仏性について聞いたならば、禅師はただ仏性について
答えたことでしょう。
犬にも仏性があるのかと聞いて、あると答えたならば
そこで話は終わっていなければならないはずです。

学僧は自分の持っている世界でもって
禅師の世界を映してみようとしました。
自分の観念の世界で禅師を試してみようとしていました。
禅師はこれを正確に看破してかんぬきをかけてしまいました。

「わしにはない」

惟寛禅師は悟った人です。
惟寛は「ない」と答えました。
それは惟寛に仏性がないからないと答えたのではなく、
すでにそこから抜け出した人であるために、
抜け出した世界を教えてやるためにないと言ったのです。

学僧はテンポを合わせられず、
遠くから追っかけて来るので息切れしています。

「諸庶の衆生に仏性があると言うのに、
禅師様だけはどうしてないとおっしゃるのですか」
「わしはすでに諸庶の衆生ではないからである。
諸庶の衆生の世界から抜け出したからである」
「ならば、衆生でないなら仏ですか」
「わしは仏でもない」

勿論ここで禅師がそうだと答えてもよかったはずです。
しかし禅師は学僧にもう一歩踏み出せてやるために、
さっき理解できなかった言葉をはっきりともう一度
教えてやるために、再び新しい道を示してやっています。

そうではない。仏ではない。お前の考えるそんな仏ではない。
そんなやり方でこの世界に来ることはできぬ。

事実悟ってしまえば仏も衆生もないのです。
全体になってしまうからです。
仏の世界は衆生の衆生の世界を包含しているのです。

部分として存在するときは、やれ仏だ衆生だとあれこれ
うるさく区別しますが、全体的な存在にとっては
そのような区別は必要ありません。


「悟りの瞬間」素空慈著 塩田今日子訳 地湧社







タグ:悟り 仏性
posted by GOLDEN KID at 16:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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