悟りの道は


阿難は釈迦に二〇年もの間つき従っていたにもかかわらず、
釈迦が生きている間には悟ることができませんでした。
阿難は聡明で多くの人々に対して真理をうまく表現してやったりもしましたが、
彼自身が仏陀の状態になることはできなかったのです。
したがって彼の言葉には生命力が感じられませんでした。
プラスチックでした。

皆さんがいくら私の話をたくさん聞いて、
ああ、真理というのはこれこれこういうものなんだな、
と言うことができたとしても、その言葉は真理ではありません。

真理とはこれこれこういうものなんだ、
といくら立派な定義をしたとしても、その言葉は真理ではありません。
皆さんの言葉はプラスチックだからです。

皆さんが真理の世界に入ったのではなく、
皆さんの知っている知識の中に真理を埋め込んだにすぎないからです。
そこには香がありません。

皆さんの心の中に真理を入れようとすれば、
真理の世界は皆さんからますます遠ざかります。
向かおうとすればすでにはずれているのです。

「悟りの瞬間」より



コップに海水を汲んでも、それは海ではありません。
同じように、いくら頭の中に真理の言葉を詰め込んでも、
それを真理と言うことはできません。

真理とは、あなたと別に存在するものではありませんが、
人は、真理と自分とを区別する枠を自ら作っているのも事実です。

素空慈先生はおっしゃいます。
『悟りとは、自己犠牲である』と。

真理に向かおうとする思いそのものが知識にすぎず、
真理と自分とを区別する枠を自ら認識して、
それを打ち壊していくことが、自己犠牲であり、悟りの道です。

そのとき、あなたは海(真理)と一つになり、
本当の自分の姿を見出すことができるでしょう。


→素空慈先生に関するお問い合わせはこちらから


・真の悟りとは
・超験とは




タグ:真理 仏陀 悟り
posted by Only Sir at 12:41 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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