利口な「ふり」


人々は普通、頭がとびぬけてよい人、
利口な人が立派な人だと思いがちです。

昔から王は臣下を選ぶとき、英明な者を選んだのでは
ありませんでした。誠実な者を選びました。
自ら自分が利口だと思っている人は、
自らの利口さを外に誇示しようとします。

そうすることによって、彼の欲望は次第に膨らんでいきます。
そんな人はいつかは上の者の地位を奪おうとするに違いありません。

だから昔は利口な人は使わなかったのです。
ただ言うことを良く聞いて仕事のできる「イエスマン」
のような人を歓迎しました。

下の者が自分よりぼんくらであってこそ、
自分の地位が確固不動のものとなるのであって、
自分よりも利口な者が下にいる場合は、
自分の地位はいつでも不安にさらされることになるのです。

・・・中略・・・

皆さんは外で利口なふりをしないように願います。
元来利口なのはどうしようもないが、利口な「ふり」と
いうやつはどこに行っても壁を作るからです。

だからといって、馬鹿なふりもやめて、
「ふり」の世界から抜け出さなければなりません。
それは易しいことではありません。

皆さんが本当に「ふり」の世界から抜け出すためには、
どうしても悟らなければなりません。

「悟りの瞬間」より




・真の悟りとは
・超験とは




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悟りとは、現実を生きる道


悟りに向かう道は決して、瞑想や三昧ではありません。

悟った者のみが現実を生きています。
皆さんが本当に現実を現実として生きるためには、
どうあっても悟りに向かわなければなりません。

すべての道は最終的に悟りに通じているからです。

その道の終点に、これ以上進めない最後の地点に至る前に、
現実を語るのをおやめなさい。


「悟りの瞬間」より



素空慈先生はおっしゃいます。
悟りとは、「現実」を生きる道であると。

人は「悟り」と聞くと、恍惚感や光などを連想する
かもしれませんが、その先に悟りは存在しません。
人の心には不思議な力があって、願うものを引き寄せる
力があります。そして、恍惚感や光さえも心は
作り出すことができます。

ですが、これは心が作り出す幻想に過ぎず、
真の悟りとは、ほど遠いと言えます。

では、真の悟りに向かう道は何なのか?


素空慈先生は、この道を「超験」と名付けました。

「超験」とは、読んで字の如く、経験(体験)を超えていく、
ということですが、経験を捨てるではなく、「超える」です。

多くの人は、自らの経験に振り回されながら生きています。
あなたが主ではなく、経験が主となって、経験の奴隷として
人生を生きています。

ですが、悟った人は、自らが主人となって、経験の世界を
自由自在に活用して、現実に願う世界を創造していく力があります。
これは、自分という枠(エゴ)を乗り越えてはじめて可能となります。


素空慈超験センターでは、超験を体得し、全ての人に秘められた
創造力を発揮するための場として、多くの同志が集まっております。

「現実と一つとなれ」
「世の中の主人であれ」

これが、超験を生き、悟りに向かう道しるべです。

GOLDEN KID


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