アートマンとブラフマン

皆さん方が日頃感じている苦しみ、悩み、迷い、幸福感などといったものは、すべて影の世界から生み出されたものです。「悟り」というのは、そのような虚像に囚われている自分自身から抜け出し、自分の本体を体得する道なのです。

池に石を投げ入れると水しぶきが上がります。人は、跳ね上がる水しぶきを自分という存在だと思っています。しかし、真の「自分」は、跳ね上がる水しぶきではなく、水自体なのです。

インド人たちは、こられを厳密に区別して、水しぶきが上がるのをアハムカラ(ahamkara=自己観念)と言い、池の水をアートマン(atman=純粋自我)と名付けました。

これは人間だけに当てはまることではありません。すべてのものにそういうものが存在します。動物や植物にもそれは存在します。我々の心の底にアートマンがあるように、あの木蓮の木にも、生命それ自体であるアートマンがあります。

インド人たちは、さらにそれを名付けてブラフマン(brahman=宇宙自体の本質)と呼びました。ブラフマンとアートマンは全く同じものです。我々が悟りを得るということは、すなわちアートマンを体得することです。アートマンとブラフマンは決して違うものではないということを体得することなのです。



「悟りの瞬間」素空慈著 塩田今日子訳 地湧社刊




posted by GOLDEN KID at 15:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

「悟り」旅が始まる以前の世界・・・

人は絶えず旅立っており、また、あとにしたその場所に休むことなく還りつつあります。人は還らなければなりません。自分から出発したその旅行の行く先は、結局は必ず自分自身に還らなければなりません。旅行が始まる以前の世界に・・・・・。

煙草を吸うと煙が漂います。煙を吐き出せば、虚空に紛れて無くなってしまいます。煙草の吸い殻もいつかは腐って無くなってしまいます。皆さんの体も腐ってバラバラになって無くなってしまいます。すべてのものは散々になって無くなってしまいます。

皆さんの心の中に浮かぶ「心」というものも同様です。高ぶった感情も、しばらくすればまた静まります。皆さんの固定観念、自尊心、判断基準のようなものも同様です。それもやはり色々な原因によって集まってできたものであり、そうであるがゆえに、それはいつかは必ず虚空のなかに散っていかなければなりません。静まり、還って行く世界、そここそが我々が行かなければならない場所なのです。

皆さんが知っている知識の世界も、やはり根本へと深く降りてゆかなければなりません。その根本とは、皆さんの頭脳ではありません。皆さんが見つめ、判断するその目ではありません。それは外に向かうものではなく、皆さん自身に向かい、皆さん自身の内面に向かってあるものです。まさにそのように還らなければなりません。いつの日か皆さんも知るときが来るでしょう。あとにしてきた故郷こそが、皆さん自身であったということを。



「悟りの瞬間」素空慈著 塩田今日子訳 地湧社刊





タグ:悟り 哲学
posted by GOLDEN KID at 17:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

汝の信仰が汝を救えり

たとえば皆さんは病気にかかりますね。どこかが痛いとか病気になったとしたら、その病はどうして生じたのでしょう? それは皆さんがその病気にかかり得る要素を自ら持っているからです。神は一点の隙もなく正確です。完全だから神なのです。皆さんが望まないこと、要求しないことは決して与えたりはしません。

皆さんは聞くことでしょう。「でもどうして僕は病気になったのですか。僕は病気になることを望んだりはしなかったのに・・・」皆さんは病を心の中に持っているのです。それが病気となって皆さんに正確に現れたにすぎないのです。

皆さんは小さいときから病気についての意識を、直接的にせよ、間接的にせよ、経験しながら育ってきたはずです。癌についても聞いたはずです。隣の誰々さんが癌で死んだとか、新聞や色々なマスコミにも癌についての問題がいっぱい載っています。

そうして皆さんの無意識のなかに、癌に対する恐怖心が少しずつ侵入し始めます。無意識は何度も「癌」という恐ろしい敵を記憶するに至ります。そうなると皆さんの持っている生命エネルギー、神から付与されたそのエネルギーは、癌に向かって流れるようになります。

そのエネルギーは、何であれ皆さんの潜在意識が強烈に記憶している部分に向かって流れますので、もし癌にでもなったらどうしよう、というその「どうしよう」に囚われていると、その「どうしよう」に向かってエネルギーがザーッと流れ込むようになります。

衝撃的な話かも知れませんが、病気になった大多数の人は、病気になることで楽になるので、長い間病んでいるのです。彼らの無意識は、自ら存在するための正当性を病気によって維持しているのです。もしも皆さんが心底病気から救われたいと願うならば、自ら病魔から逃れるために闘わなければなりません。ゆえにイエスは、「汝の信仰が汝を救えり」と言ったのです。



「悟りの瞬間」素空慈著 塩田今日子訳 地湧社刊


posted by GOLDEN KID at 19:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記