真の悟りとは


多くの人が悟りを、超自然的な力を用いた
奇跡的な能力であるかのように考えている。


そのような考える理由は、悟りがそれほど難しいからである。
では、なぜ悟りはそれほど難しく、また、悟りを得ることによって
一般の人たちと、どこが違ってくるのだろうか?

易しく説明するために、
我々の心の本質を、柔らかい布であるとしよう。

我々が目の前の山を眺めると、平らな布はフィルムのように、
見ている山の姿に変化する。
そして、その山の姿が、まるで心のように感じられるようになる。

このように我々の心は、見て感じる、様々な像によって
縫われることになる。そして我々は、その姿を普通、
心であると感じている。

結局、真の心の本体は、即ち布それ自体なのである。
悟りとは、心の像ではなく、心それ自体を認識することにある。

では、なぜそれほどまでに悟りは難しいのだろうか?

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posted by Only Sir at 15:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 真の悟りとは

真の悟りとは(2)


なぜ、それほどまでに悟りは難しいのだろうか?

それは、我々の考えや想念といったものが、
まさに心という当体の上で起こる作用だからである。


今皆さんがこの文を読んで、
「あぁ、なるほど!」と思ったのであれば、
それは考え、即ち、知であって、悟りではない。
悟りは、このように頭の中に像を描くことではない。

悟りが難しく、理にかなっていないような存在であり、
真偽を確かめにくい理由は、まさに

「認識越えの世界を、認識しなければならない」
という問題があるからである。

そして、今まで悟った多くの覚者たちは、
そのように認識することのできる能力を「直感」と呼んだ。

悟ることのできない人たちは、
悟りの世界が天上を飛んでいるようであるとか、
世の中が光って見えるとかいうように、
幻覚的な幻想によって話す。
これらはまさに、考えが作り出した錯乱現象にすぎない。

では、真の悟りとはどのようなものなのだろうか?

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posted by Only Sir at 19:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 真の悟りとは

真の悟りとは(3)


真の悟りとはどのようなものなのだろうか?
もちろん、真に悟った人は、その真偽を知ることができる。

この宇宙は、我々の目に見える形体の世界もあるが、
目に見えない波動の世界もある。


そして、今日の科学は、
形体(粒子)は、即ち波動である
という事実も知っている。

従って、我々の目に見える形体を切り崩していくと、
結局、目に見えない波動となる。

だが、波動も即ち形体(粒子)であるので、
我々の心の本体は、即ち波動のような粒子である
と言うことができる。

「考え」というのは、その粒子の波動であると言えば、
理解しやすいだろう。これは、我々の心だけでなく、
宇宙もまた、同じメカニズムによって作用している。

普通、人々は、心の像が主となり、
その像を心であると感じているが、悟った人は、
心の本体を主とみなし、わき起こる現象に囚われることがない。

だが、布が心の当体であるように、布の上に縫われた山もまた、
その本体は心の当体であるので、その像を偽物とは言わない。
だが、その像に囚われないだけである。

昔、中国の洞山和尚は、次のように言った。


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posted by Only Sir at 13:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 真の悟りとは

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