真の悟りとは(7)


悟っていない臥輪と、悟った慧能の詩を見てみよう。

《臥輪》
臥輪は特別な技量があり
百千の思いを一息に断ち切るゆえに
どんな境遇に対しても心を動かすことがなく
心の中に菩提樹が日に日に育つ

《慧能》
慧能は特別な技量がなく
百千の思いを断つことができないゆえに
どんな境遇に対しても心を動かし
菩提樹がどうして育とうか


臥輪は特別な技量があり
百千の思いを一息に断ち切る


百千の思いを断ち切れるというのは、即ち、死にすぎない。
従って、六祖慧能は、

慧能は特別な技量がなく
百千の思いを断つことができない


と言った。そして、

どんな境遇に対しても心を動かすことがなく
心の中に菩提樹が日に日に育つ


心が動かず、当体を感じる感覚が日に日に育てば、
それもまた、煩悩ではないだろうか?

そこで慧能は、次のように言った。

どんな境遇に対しても心を動かし
菩提樹がどうして育とうか



臥輪の詩は、本質の世界に向かうものであるが、
慧能の詩は、本質の世界から出てきたものである。

結局、悟った人は、どのような想念がわき起こっても、
そこに囚われ、当体を見失わない人なのである。


雲門禅師は、悟りについて次のように要約して話した。


>>次のページへ




posted by GOLDEN KID at 17:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 真の悟りとは

真の悟りとは(8)


雲門禅師は、悟りについて次のように要約して話した。

【雲門三句】

1.天地をひっくり返して十分濡らす。


本質の世界が作用し、森羅万象が絶えず起こる。

2.全ての流れを一息に断ち切る。

悟った人は、その虚像に縛られることがなく、
本質世界にいるので、一息に虚像の世界を断ち切ることができる。

波に乗って共に流れる。

本質もまた波動であるので、本質が動くままに(慈)、
万物を創造する。


従って、悟った人が時として奇跡を起こすこともある。
だが、そうかといって、これが即ち道ではない。

一般の人々は、想念で願う目的を行使するが、
悟った人は、心の本質によって目的を行使するので、
時としてその成果が大きく現れることもある。

だが、このようなことを目指して悟ろうとすれば、
それは即ち虚像である自分のための道であるので、
得ることのできない悟りとなってしまうのである。

庭の前に松の木
山は山、水は水


のように、在るがままの中に真理があるのである。


−素空慈−



posted by GOLDEN KID at 14:18 | Comment(2) | TrackBack(0) | 真の悟りとは